広島高等裁判所松江支部 平成2年(ラ)14号 決定 1990年9月25日
抗告人 島田年次 外1名
相手方 荒木美恵子 外5名
主文
一 原審判を取り消す。
二 本件を松江家庭裁判所に差し戻す。
理由
一 本件抗告の趣旨及び理由は別紙即時抗告申立書記載のとおりであり、これに対する相手方加藤和弥の答弁は別紙答弁書記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
一件記録による当裁判所の事実認定及び法律判断は、次のとおりである。
1 原審判3枚目表7行目から6枚目裏6行目まで及び7枚目表5行目から10行目までと同一であるから、これを引用する。
2 右によれば、抗告人らは、被相続人の遺産である預金の額が真実は約2434万円(元利合計)であるにもかかわらず、相手方加藤和弥の虚偽の説明によつて約1900万円であると誤信したうえ、本件相続権の行使につき、抗告人島田年次は550万円、同藤井政江は300万円を各取得し、その余の請求はしない旨の各意思表示に及んだことが明らかである。
遺産分割においては、その分割の対象となる遺産の範囲が重要な意義をもつことに鑑みれば、相続権の行使における意思表示においても、その前提となる遺産の範囲が重要な意義をもち、この点に関する錯誤は、特段の事情がない限り、要素の錯誤にあたるものというべきである。
これを本件についてみるに、もともと抗告人らの取得金額の決定が一定の合理的な算定基準によるものではなかつたこと、抗告人らにおいて、他の相続人らの取得額に関心をもつたと窺える形跡がみられないこと、また、抗告人らは、相手方加藤和弥に被相続人の祭祀の世話を委ねるため、法定相続分の全額までを要求する意思ではなかつたことが認められるけれども、一方において、抗告人らが、遺産である預金の総額を全く度外視して各自の取得金額を決定したといい切るだけの特段の事情は認められず、真実の預金額と抗告人らの誤信した預金額との差額も約534万円と大きいこと、抗告人らはいずれも各4分の1ずつのいわば大口の法定相続分を有する相続人であること等の諸点に照らせば、抗告人らの右各錯誤は要素の錯誤にあたり、抗告人らの右各意思表示は無効と解すべきである。
3 そうすると、抗告人らの右各意思表示が有効であるとしたうえ、これに依拠してなした原審判は、不当であり、取消を免れない。そして、本件においては、あらためて各相続人の正しい具体的相続分に沿う妥当な遺産分割の方法を判断するため、更に審理を尽くさせる必要があるので、原審に差し戻すのが相当である。
三 よつて、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 渡邉安一 渡邉了造)
(別紙)
抗告の趣旨
原審判を取消し、本件を松江家庭裁判所に差戻すとの裁判を求める。
抗告の理由
1 抗告人島田年次及び同藤井政江は、「遺産分割協議書」と題する書面に署名、捺印し、相手方加藤和弥との間で、相手方和弥が不動産を相続し、預金の中から抗告人島田が550万円、同藤井が300万円相続する旨、個別に合意した。
原審判は、この「遺産分割協議書」による合意は、抗告人島田及び同藤井の自己の法定相続分(それぞれ1477方8423円)から「遺産分割協議書」で合意した金額を控除した残額相当分を相手方和弥に譲渡する旨の意思表示にほかならないと認定している。
しかし、この合意は、他の相続人全員が相手方和弥を介して遺産分割について合意することを条件とした合意であり、遺産分割案に過ぎない。抗告人らと相手方和弥との間の「遺産分割協議書」による合意は、遺産分割協議にあたらないことは原審判も認めているとおりであるが、そうすると原審判の認定によれば、抗告人らと相手方和弥との間において、法定相続分から合意した金額を控除した残額相当分について贈与契約が成立したことになる。しかし、このような解釈が当事者の意思に反することは、「遺産分割協議書」作成の経緯に照らし明らかである。
仮に原審判の如き解釈を採れば、遺産分割協議成立前の一部当事者間で成立した合意は、すべて合意した当事者間において拘束力のある贈与契約として扱うことになるが、そのような解釈は、当事者の意思に反し不合理であり、他の審判例においても、そのような解釈は採られていない。
2 仮に抗告人らと相手方和弥との間に原審判が認定した契約が成立していたとしても、相手方和弥は、遺産の預金が2400万円以上あったにも拘らず、抗告人らに預金は1900万円しかないと虚偽の説明をし、抗告人らは相手方和弥の虚偽の説明を信用して契約を締結したものであり、法律行為の要素に錯誤があったことは明らかである。原審判は、錯誤があったことは認めながら、この点に関する錯誤は要素の錯誤にあたらないと認定している。
しかし、「遺産分割協議書」による合意の法的性質が法定相続分から合意した金額を控除した残額相当分を抗告人らから相手方和弥に贈与する契約であるとすれば、贈与の対象額に直接影響する預金の額に関する錯誤が契約の重要部分に関する錯誤であることは明らかである。
また、相手方和弥は、法定相続分が20分の1しかなく、被相続人の財産の維持、増加に寄与した者でもないにも拘らず、不動産の全部を自分が単独で相続することをもくろみ、抗告人らが遠隔地に居住し、遺産分割協議のために度々松江に帰れないことや、抗告人らが遺産について正確な情報を有していないことを奇貨として、抗告人らに虚偽の説明をし、「遺産分割協議書」に署名、捺印させたものであり、相手方和弥の側に要素の錯誤ではないことを理由として、契約の法的安定を図らなければならない実質的な利益は存しない。
3 抗告人らは、原審判が出るまで、相手方和弥との間で、原審判が認定したような契約が成立していると考えていなかったものであるが、仮に契約が成立しているとしても、抗告人らは相手方和弥の欺罔行為によって意思表示をしたものであり、抗告裁判所の決定が出るまでの間に、許欺による意思表示として取消す予定である。
答弁書
1 島田及び藤井とは和弥が不動産を相続し島田が550万円、藤井が300万円を個別に署名捺印し合意していただきました。
2 合意は他の相続人全員が合意することの条件との抗告人の言い分であるが、再度電話が有り、他の相続人が合意しなくても、島田が550万円を名古屋へ持参すれば署名捺印するので、名古屋の自宅へ550万円を持参するようにとの、電話でしたのですぐ持参いたしました。
持参合意日 昭和62年1月14日 小切手にて550万円支払済み
3 抗告人藤井には、再度 姫路に出向き300万円を受け取れば書面に署名、捺印するとの合意至り 昭和62年2月25日 姫路の自宅 に持参 署名捺印持参 合意日 昭和62年2月25日
4 抗告人島田及び藤井には、預金及び現金等を聞かれることなく個別の金額にて署名捺印していただきました。なおこれにて相続の件は無関係との言葉もいただきました。
5 島田及び藤井は、和弥が預金等を相続人及び抗告人らに虚偽の説明をして署名捺印させた、とのことですが、私は決して虚為の説明は居たしておりません。
6 出納簿及び預金等を持参居たして間違いのないことを説明居たしたく思いますのでよろしく取り計らいをお願いします。
簡単ですが預金及び現金等説明居たしておきますのでよろしくお願い居たします。
(以下編略)